迷わず行けよ

昨日に大宮、今夜に神奈川へ行って参りました。お疲れ自分。
本来ならば昨夜に引き続いて友人のお宅に泊まっていく予定だったのですが、無性にパソコンに向き合いたくなったので帰宅しました。


短期間にいくつも参戦するのって面白いですね。
それぞれの会場だけにあったもの、どんどん増えていったもの、また無くなっていくもの。面白いです。
まるで遊び仲間の家に行く頻度のような間隔での参戦でしたから、これから1ヶ月あいてしまうのかと思うと寂しくなります。


大宮は相方の都合がつかず4曲目からという中途半端な参戦になってしまい、たいした疲労感も満足感もないまま終了。
やっぱり1曲目は肝心なんだということを今日の神奈川で改めて痛感しました。
発汗量も比べ物になりませんでしたから。


その神奈川はというと、相方なしの孤独な参戦。
一人で大丈夫だろうか、という妙な緊張が開始前のドキドキより上回っていたのですが、なんの、始まった途端にしっかりスタートを決めていた私でした。
万博のときもそうでしたが、名前も知らない隣のキシーと何か通じ合うものが楽しいです。
たとえば特にフリのない箇所で、言い合わせたわけでもなく同じ動きをしていたり。
今日は(何かしらの気を利かせたのか単に忘れていたのか)「友達できたか」と言わなかった團長でしたが、その言葉を聞くたびに團のGIGのこういう面での楽しさを思い浮かべるのです。


関東篇を終えて思うこと。
千葉の日記を書いたあと、千葉公演の不評ぶりに私は愕然としていました。
そんなにつまらないものだったっけ?私ってやっぱり何かに鈍感なのかしらと。
氣志團ファンたるもの、こういうものを望んでこういうものを批評しなければならない、そんなおかしな概念が私の中に出来上がっていました。
けれど、私にそれがわかるわけがない。というか、やっぱりまず最初にどんな氣志團を見て惚れ込んだのか、スタート地点はどんな景色だったのか、それによって望むものも変わってくるに決まっているのです。
私はそんなにファン歴は長くありません。ようやく1年半経ちますか。たったのそれだけです。
それ以前の氣志團は映像を通してしか知りえませんし、真に味わったこともありません。
むしろ、その当時に氣志團を見ることが出来たとして、好きになっていたかどうかもわからないのです。(好きになってたと思うけど)


今の彼らに眉間にしわ寄せて唸っている、つまり、あの頃の氣志團を知っている人たち。
またあの頃は知らないけれど、今の氣志團に十分な幸せをもらっている人たち。
どちらが不幸かなんて、誰も知らないし、決めることも出来ないし、定める必要もない。なぜならあの頃と今ではきっと何かが変わっているから。
ただ言えるのは、どちらも熱を持った視線で氣志團を見つめているということ。
そして、これからも氣志團はどんどん変わっていくだろうということ。
私は前者になりたかった後者です。後者であることに引け目を感じていました。
しかし今、そんな意識も変わりつつあります。
だって、楽しいものは楽しいし、いいと思うものはいい、その気持ちに嘘も本当もないからです。


私は氣志團列島肯定派。







・・・なんていうとケンカ売ってるみたいに見えますが違うんですよ(笑


自分の影響されやすい意思ってやつを奮い立たせてる感じです。
まだまだ話は続く!


ついに雨が降りましたね〜何だかようやくツアーも本番!なんて思うのは失礼ですね。
それにしても台風つれてくるのはやりすぎだろ雨男さん。
おかげで今日びしょびしょだよ。風邪引くかと思ったよ。
熊本・鹿児島に参戦なさる方、荒天にくれぐれも気をつけて行ってらっしゃいませね。ほんとに。
團ちゃんも無事に九州篇を終えられればよいのですが。



結婚闘魂行進曲「マブダチ」ですが。
曲云々ダンス云々でなく、歌詞に惹かれてる私です。どうしてか團長の書く歌詞にはやられ頻度高いです。じつはランマより。
(ランマにはどちらかと言うと「曲」の部分にやられます)


ワタクシまだまだケツの青い餓鬼ではありますが、魂震のマブダチというのは居りまして。(片想いだったらどうしよう笑)
今では別れてしまいましたが、マブダチ同士のカップルが居ったのです。
二人とも大好きで、一緒になってくれたらとずっと思っていまして、「マブダチ」を聴くとそのことをカチーーンと思い出すのです。そしてじんわりしんみり。


「幸せになってくれよな、友よ」 「幸せにしてもらいなよ、友よ」


まさに彼らに言いたかった言葉(というか私の妄想の中で式中スピーチしていた言葉←アホ)ですよ。
曲調も私の思いのテンション(日本語難しい!)に似通っているし、ああ、この歌であの二人を祝福したかった。


曲単品としては大好きです。
いろいろ意見もありましょうが。